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第31回沖縄平和行動開催報告

 

第31回全労金・労済労連沖縄平和行動を開催!

第31回全労金・労済労連沖縄平和行動を開催!
 
【初日(5月11日)】
 沖縄県那覇市他において、全労金52名、労済労連24名、事務局(沖縄労組執行部、実行委員会)23名、合計99名が参加して開催しました。内容は、①前段集会(ⅰ実行委員長挨拶、ⅱ基調提起、ⅲビデオ上映、ⅳ講演、ⅴ自然災害からの復興再生に向けた取り組み報告)、②ひめゆり平和祈念資料館見学、③糸数豪見学、④沖縄平和祈念公園・祈念資料館見学、⑤魂魄の塔見学、⑥5・15平和行進、⑦復帰46年 5・15平和とくらしを守る県民大会、⑧総括集会。
 ①ⅰⅱ平和行動の開会にあたり、実行委員長の沖縄労組伊川執行委員長より挨拶をした後、全労済労組九州支部沖縄分会宮内事務局長より基調提起が行われました。
 ①ⅲ「1フィート映像でつづるドキュメント沖縄戦」を上映し、沖縄戦の悲惨さ、国家意識の植え付け、軍隊と住民の共生はありえないことや、日本軍の沖縄県民への冷徹さ等について認識を深めました。
 
 
 ①ⅳフリージャーナリストの屋良朝博氏より、「日本の安全保障」をテーマに講演を受けました。「なぜ米軍基地は日本に存在するのか」「なぜ米軍基地は沖縄に集中するのか」と参加者に問われ、米軍基地は太平洋戦争敗戦の結果、日本に存在しているが、戦後まもなくは、朝鮮戦争が勃発したことにより、朝鮮半島情勢を警戒し、日本全体に海兵隊が配備されていたことが説明されました。1950~60年代には全国各地で反基地運動が展開されましたが、政治的に反対運動が拡大することはアメリカにとっては避けたいことであり、1956年には、「日本における米国の軍事的立場の再考」として、「基地の存在を(国民の)の目にとまりにくいようにして、反基地感情を減らすべきだ」(不可視化)、「日本に駐留する政治的コストが高騰した場合、本土から撤退し、沖縄を主要基地として保持する」としていたことが説明されました。
 
 
 
 また、1944年に米海軍省作戦本部が作成した沖縄占領のためのハンドブックを紹介され、その中では、「日本人は琉球を人権的に同等とみなしていない。しかし、島民は日本人に対して、劣等感どころか、彼らの伝統と中国との長い文化的なきずなに誇りを持っている。日本と琉球の間には、アメリカが政治的に利用しうる軋轢の潜在的な根拠がある」とされており、戦時中にアメリカは沖縄を主要基地とすることを検討していたことが説明されました。現実として、沖縄で米軍に関連する事件、事故が起きても本土ではあまり多く報道されないことや、2004年8月に沖縄国際大学に米軍ヘリが墜落した時には、本土では、渡邉恒雄巨人軍オーナー辞任、谷亮子金メダル獲得、野村忠宏金メダル獲得の後の4番目のニュースになっていたことを紹介され、「沖縄だったら仕方ないになっていないか」と投げかけられました。
 講演の最後に、ドイツ・ナチスでヒトラーの右腕と言われた、ヘルマン・ゲーリングの「普通の人間は戦争を望まない。しかし、国民を戦争に参加させるのは、つねに簡単なことだ。とても単純だ。国民には攻撃されつつありと言い、平和主義者を愛国心に欠けていると非難し、国を危険にさらしていると主張する以外には、何もする必要がない。この方法はどんな国でも有効だ」とする言葉を紹介され、参加者に対して、どう感じるか考えてほしいと呼びかけられました。
 
 
 
 ①ⅴ沖縄労組安井青年部執行委員より、「全労金第2回災害からの復興・再生集会」の参加報告を行い、全労済労組九州支部熊本分会P-WAVE委員会事務局長より熊本地震における被災地の現状報告が行われました。
 その後、全労金小出書記次長、全労済労組九州支部新里支部副委員長から、全労金・労済労連としての災害からの復興・再生に向けた取り組み報告を行いました。全労金からは、2017年度に取り組みを実施した「第8弾福島応援セット」や全労金「第2回災害からの復興・再生集会」等の内容について報告しました。
 
 
【2日目(5月12日)】
 2日目は、フィールドワークとして、「ひめゆり平和祈念資料館」「糸数壕」「沖縄平和祈念公園・祈念資料館」「魂魄の塔」を訪れました。
 ひめゆり平和祈念資料館では、「ひめゆり」の愛称で親しまれていた沖縄師範学校女子部と県立第一高等学女学校は、1930年第からの長引く戦争により、学校が軍事化されていく様子や、明るい青春時代を戦時色に塗り替えられていく「戦争と教育」の過程、看護要員として動員されたひめゆり学徒の戦場での実態や、負傷兵の実態について学びました。米軍が間近に迫った、1945年6月18日夜には、「解散命令」が出され、生徒たちは米軍が包囲する戦場に放り出されました。「解散命令」後の数日間で、100余名のひめゆり学徒が死亡しています。
 糸数壕(糸数アブチラガマ)は、沖縄では「ガマ」と呼ばれる自然洞窟であり、沖縄戦時、もともとは糸数集落の避難指定壕でしたが、日本軍の陣地壕や倉庫として使用され、戦場が南下するにつれて南風原陸軍病院の分室となりました。軍医、看護婦(看護師)、ひめゆり学徒隊が配属され、全長270mのガマ内は 600人以上の負傷兵で埋め尽くされました。ガマ内は懐中電灯の光を消すと真っ暗闇となり、衛生面も含めて非常に厳しい環境の中、いかに苦しみや恐怖、絶望感を感じていたかを実際に肌で感じることができました。
 
 
 沖縄平和祈念資料館では、沖縄戦に至るまでの沖縄の歴史や、戦争がいかにして起こったのか、住民から見た沖縄戦が立体地図や写真・映像・実物等で展示されており、沖縄戦の悲惨さを改めて認識しました。また、資料館には沖縄戦を戦場で体験した住民の証言が証言集と証言映像で展示されています。
 糸満市米須地区に、戦後沖縄で最初に建てられた慰霊塔「魂魄の塔」があり、周囲を石垣で固めた円形の塔には、沖縄戦で犠牲になった住民など、3万5千人がまつられています。戦後、放置されたままの遺骨の収集が自発的に始まり、拾われた遺骨は、現在の魂魄の塔がある場所まで運ばれました。およそ 500人の遺骨が納められた1946年2月27日、魂魄の塔と名付けられ ました。塔の前では参加者全員で合掌をし、平和への祈りを捧げました。
 
 
【3日目(5月13日)】
 
 5・15平和行進は、「復帰後も変わらぬ基地の島沖縄の内実を問い直す」ために、復帰5年後の1978年からスタートし、41回目を迎えています。宜野湾市役所前での出発式の後、約7キロのコースをシュプレヒコールしながらデモ行進しました。平和行進には、3日間で延べ5,400人が参加しています。
 
 
 宜野湾海浜公園屋外劇場にて、「復帰46年 5・15平和とくらしを守る県民大会」が開催され、国内外から約 3,500人が参加しました。国内外の平和団体代表や、3人の国会議員が登壇。新基地建設の阻止や憲法9条の擁護、過重な基地負担を強いられている現状に抗議の声を上げ、平和に向けた連帯を呼びかけました。実行委員長で沖縄平和運動センターの山城博治議長は、あいさつで、「再び戦争の道を歩んではいけない。国家の暴力によってわたしたちが戦場に引っ張られる、そのような事態は許さない」と力強く訴えました。大会宣言として、「日米両政府によって強行される米軍基地の強化、拡大に反対することを表明する。不平等な日米地位協定の抜本的改正を強く要求する。震災の教訓を活かし全国の原発再稼働を許さず、脱原発社会の実現を確認する。戦争への道を踏み出そうとする政府の戦争政策、憲法改悪に抗し、アジア近隣諸国、そして世界平和のために闘い抜くこと」等を確認しました。最後に、山城実行委員長による団結ガンバロー、「沖縄今こそ立ち上がろう」「沖縄に返せ」を会場全体で合唱して終了しました。
 
 県民大会後に、総括集会を行いまいした。総括集会の中で、分散会討議を行い、3日間の平和行動を通じた感想や、参加して学んだこと、平和について考え、感じたことを「伝える」ためにできることを、全グループから発表しました。
 参加者からは、「戦争は絶対に肯定することはできない。メディア等の報道で得る知識とのギャップがあることを知ったのは、平和行動に参加したからこそである」「平和行動により多くの人に参加してもらいたい。単組での学習会やフィードバックの機会を持つことが大切だと感じた」「政治活動にも力を入れていかないといけない」「平和行進の意義がわからず参加したが、形にしてアピールしていく必要があると感じた。まわりの反応が年代によって違った。年齢の高い方は、手を振ったり応援してくれているが、反応がない若い人もいた」等の報告がありました。
 全労済労組沖縄分会の新垣靖二分会長より、「昨年のまとめでもあったが、みなさんには『当事者意識』を持っていただきたい。本土の人は無関心にならないでほしい。沖縄の人は運動を続けても変わらない現状にあきらめていることもあるが、みなが沖縄のことを考えてくれることが励みになる。一人ひとりの力が大切であり、国を動かす力になる」等のまとめ発言がありました。平和行動旗を広島平和行動主催単組へ引き継ぎ、最後に沖縄労組比嘉青年部長による団結ガンバローで終了しました。
 
 
ひめゆり平和祈念資料館初代館長
 
九州労組の参加者のみなさん
 
平和行進出発式
 
北海道労組の参加者のみなさん
 
東北労組の参加者のみなさん
 
中央労組の参加者のみなさん
 
新潟労組の参加者のみなさん
 
長野労組の参加者のみなさん
 
静岡労組の参加者のみなさん
 
北陸労組の参加者のみなさん
 
東海労組の参加者のみなさん
 
近畿労組の参加者のみなさん
 
中国労組の参加者のみなさん
 
四国労組の参加者のみなさん
 
九州労組の参加者のみなさん
 
セントラル労組の参加者のみなさん
 
沿道からの応援
 
沖縄労組の仲間
 
藤本泰成平和フォーラム共同代表
 
海外ゲスト コ・クォニル氏
 
照屋寛徳衆議院議員
 
「沖縄今こそ立ち上がろう」
「沖縄に返せ」合唱
 
総括集会
 
全労済労組九州支部沖縄分会新垣分会長
 
沖縄労組青年部比嘉部長
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